Louis Bollinger (? - ?)
19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したマルケトリー作家
マルケトリー絵画にとどまらず パイログラフィによる作品も製作した
アルザスの風景や風俗・風習を一貫してテーマに取り上げている
サインは「Boll」もしくは「Boli」となっていることがほとんどである
 
Emile Gallé (1846 - 1904)
アールヌーボーを代表するデザイナー アートディレクター
陶器やガラスの製造で名声を得て 1886年から家具の製造に着手する
1889年のパリ万博ではガラス(グランプリ) 陶器(金賞) 家具(銀賞)すべての分野で上位入賞を果たし
装飾芸術家としての国際的な名声を確立する
1901年にはEcole de Nancyの会長に就任している
彼の死後も工房は存続し 解散したのは1931年である
ガレのサインは作品に応じてデザインを変えているため
サインだけで品物の真贋を特定することは不可能である


ガレの家具は装飾性が高く 芸術性に富む
その反面(これは私見であるが) 実用性という観点から考察するとマジョレルに軍配が上がる
 
Camille Gauthier (1870 - 1963)
Ecole de Nancyの家具作家の1人で その作品は現代においても人気が高い
Nancy、Parisで学んだ後 Louis Majorelleの下で家具の製作を始める
そのため 彼の初期の作品からはマジョレルの影響が強く感じられる
1900年にMajorelleの元を離れて独立し 1901年にEcole de Nancyに参加
1904年にはPaul Poinsignonの援助を得て 工房Gauthier-PoinsignonをNancyに設立
これ以降 彼の製作する家具は徐々にシンプルになってゆくが 
アールヌーボーの作家らしく 常に自然をモチーフとしていた
1916年にPaul Poinsignonが他界した後も製作を続け 1924年に工房をCharles Delfourに売却している
Charles Delfourはその後もGauthier-Poinsignon名義で製作を続けた
 
Joseph Guth (1860 - 1927)
1900年ごろからNancyで活躍した家具作家(ただし Ecole de Nancyには参加していない)
大きい家具から小さい家具まで 多様なマルケトリーの家具を製作した
彼の死後 1937年まで工房は存続している

同時期に活躍した家具作家・Paul Guthとサインが酷似しており しばしば混同される
特に セカンドネーム「guth」のみの作品は「Paul Guth作」とされることが多いが
そのほとんどはJoseph Guthの作である

これは私見であるが 両者のサインには「g」と「u」にかなり差異がある
 ※「g」・・・Joseph Guthの「g」の付け根が「ふたこぶ」 書き出しが筆記体風  Paul Guthの「g」は「ひとこぶ」 文字全体が「s」字に近い
 ※「u」・・・Joseph Guthの「u」は直線的 Paul guthの「u」は曲線的で円形を思わせる
以上の点を所持品のサインと比較したうえで 所持品はJoseph Guthの作であると判断した
Joseph Guthのサイン Paul Guthのサイン
 
Paul Guth (1878 - 1918)
1903年にナンシーに工房を設立して活躍した家具作家(ただし Ecole de Nancyには参加していない)
コンソールテーブルやティーテーブルといった小さめの家具を中心に製作していた
美しく丁寧なマルケトリーはガレやマジョレルに比べても引けを取らない
製作期間が非常に短いため 作品が市場に出回ることは極めて稀である

同時期に活躍したJoseph Guthの作品と混同されることが多いが
Joseph Guthよりもマルケトリーの美しさ・丁寧さが格段に優れている
また 基本的にサインはフルネームで入れていることがほとんどである
     
Lauer & Kuhn (1904 - 1910)※1908年までとする説もあり
1904年にCarl-Wilhelm LauerとCarl KuhnによってVillingenに設立された時計工房
置き時計や掛け時計 グランドファザークロックなどを製作していた
1904年と1905年の展示会で賞を受賞し フランスに輸出するまでの活躍を見せたが
1910年にはVillingenの住所録から会社名が消えており 実質的な活動期間は6年ほどと非常に短い
そのため製品が市場に出回ることは極めて希である
建物は建設会社にに買い取られ 1989年に取り壊されるまで存在していた

この工房で特筆すべきは 木製のケースである
非常に堅牢で かつ 彫刻やマルケトリーが美しく
ユーゲントシュティルよりもアールヌーボーの雰囲気に近い
   
 
     
François-Théodore Legras (1839 - 1916)
1839年からガラス工場で働いていたが 
1864年 サン・ドニガラス工場に雇われたのが大きな転機となる
2年後には工場長に就任し 1883年には社名をLegras & Cieひ変更する
実際に「Legras」のサインが使われだしたのは1894年からである
(サン・ドニやモンジョワのマークもルグラの作品である)
数は多くないが マルケトリーの木製品も製作していた
 
Louis Majorelle (1859 - 1926)
ナンシー派のみならず アールヌーボー期を代表する家具デザイナー
チークやウォルナット 紫檀といった堅い木材を好み 彫刻的な家具を製作した
また 色目も暗いもののほうを好んで用いている
金具にブロンズを多用していたのも大きな特徴である

柔らかい木材を好んだガレの家具に比べ
マジョレルの家具は堅牢なものが多い
また 家具職人の家具らしく 使い心地もきちんと計算されている
どんなに彫刻的な家具であっても 使ってみると彫刻が邪魔になることはない
著名な家具作家でありながら サインのない作品もしばしば見受けられる
 
La Maison Moderne (1874 - 1923)
ルーマニア出身で 20世紀初頭にベルリンで活躍した美術批評家 Julius Meier-Greafeが
1899年にパリに開いた美術工芸品店
インテリアは交友のあったHenry Van De Veldeが手掛けている
Art Nouveau Bingとともに アールヌーボーの普及に大きな影響を与えている
メーカーマークは店名の頭文字をデザイン化したものである
 
Auguste Metgé  (1883 - 1970)
彫刻家としてスタートし 後に家業の家具工房を継いで家具職人となった
家具職人となった後も絵画制作や彫刻の制作を行い
1910年にはパリサロンにも絵画と彫刻を出品している
マルケトリーの施された美しいキャビネットが口コミで評判を呼び 人気作家となった
家具を「芸術」と考え デザインから製作まですべて自分の手で製作しているが
マルケトリーだけは彼の妻マドレーヌが担当していた
第一次世界大戦で負傷したのをきっかけに ごくわずかな注文を除いて家具製作をやめている
製作期間が十数年と短く デザイン画から製作まで夫婦だけで手がけていたため現存する作品数は多くない
そのため ガレやマジョレルに比べて知名度は低いが 大変優れた家具職人である
 
Hector Michaut (1874 - 1923)
Ecole de Nancyの家具作家の1人
1906年に独立して工房を構えており それ以前はLouis Majorelle、Eugène Vallinの工房で働いていた
マルケトリーにはマジョレルの フォルムにはヴァランの影響が それぞれうかがえる
第1次世界大戦後に工房をパリに移したが1923年に48歳の若さで急死
確固たる名声を築く前だったため 彼の作品は決して多くはない
当時よりも むしろ現代において高く評価されている家具作家である
 
Charles Spindler (1865 - 1938)
アルザス地方出身の画家、版画家、イラストレーター、寄木細工師、著述家
アルザス地方の芸術家集団「サン・レオナールの会」の中心人物の一人
彼の名をもっとも有名にしたのはマルケトリー絵画である。
工房設立当初はアールヌーボー様式の家具を製作していたが

1904年ごろからユーゲントシュティル様式の家具を製作するようになる。
これはSpindler自身がアールヌーボーよりもユーゲントシュティルを好んでいたからである
マルケトリーの技術はガレをしのぐと言われ 
周囲からもアールヌーボー様式の家具製作を勧められたが 好みを理由に断っている
その後 家具装飾の一部に過ぎなかったマルケトリーを独立させ 絵画の分野として確立させた
家具や絵画のみならず 小物も多数製作しており 現存する作品は多い
マルケトリーのモチーフは その多くがアルザスの風景・風物である
彼の死後 工房は息子のPaulに引き継がれ
現在は孫のJean-Charlesによって工房が運営されている
Charles Spindler本人の作品のサインは「C.Spindler」と名前の頭文字が含まれる


ガレほど国際的な評価を得ていないため 日本でもほとんど知られていないが
素晴らしい作品を数多く残している作家である

Evéniste Sign