職場の備品

職場の私の机上には、昭和初期に作られた日本製の書類棚がでんと控えています。今の職場に転勤になったのを機に、骨董市で探し出したものです。A4サイズの書類が入る棚が左右に四段ずつ。その間は本棚になっています。アールデコ風の作りで、背板には四角く窓が切られています。


原宿の東郷神社の骨董市で購入して電車で持ち帰ってきたわけですが、昔の家具は材質もよく頑丈にできているので、とにかく重いんですね。翌日には筋肉痛で歩くのもつらいくらいでした。早速職場へ持参しようと思ったものの、さすがの私も二日連続で持ち歩くことに耐えきれず、職場が最寄り駅から近いにもかかわらず、タクシーを使いました。


何もそこまでして・・・と思われるかもしれませんが、実は私、オフィス家具が大嫌いなんです。特に、あのスチール製の机が大嫌い。無味乾燥なことこの上なく、見ているだけで気が重くなってくるんです。新聞で県産材を使った机を採用している学校や、土地の名産である漆器を給食用の器に採用した学校が紹介されたのを見た時には、心からうらやましく思っていました。しんどい思いをしてまで書類棚を職場に持ち込んだのは、少しでも職場での気持ちを軽くしようと思ったからです。


以来、書類棚を皮切りに、様々な備品を職場に持ち込んでいます。明治期に作られた小引き出し、昭和初期に作られた卓上用の屑籠。フランス製のアールデコのシガレットセットをペン立てやダブルクリップ入れとして使い、スケジュールの一覧はイギリス製のアールデコの写真立てに入れて、いつでも見られるようにしています。エアコンの風で書類がとばされないように、ハリネズミのペーパーウェイトも用意しました。ペーパーナイフはアールデコの天使像。もっとも、最近はびっちりと糊付けして封をなさる方が増えたので、あまり出番はありませんが。マグネットやホチキスはアンティークというわけにもいかないので、箱根のお土産に買った寄せ木細工のものを使っています。


本来、私はアールヌーボーが好きなんですが、職場には持ち込みません。持ち込んでしまったらとろけてしまって仕事にならない(笑)。やはりきりっとした佇まいのアールデコの方が仕事場には向いています。例外はシュナイダー作・松ぼっくり紋の小物入れ。ゼムクリップ入れとして使い、疲れたときにはしげしげと眺めて気分転換を図っています。

   
         


私がここまで職場の備品にこだわったのは、私の仕事が「人相手」であることが最大の理由です。自分にゆとりがなくささくれだった気持ちで人の相手をしたくないからです。


芸術というものは、人間が生きていく上で必要不可欠なものではありません。なければないで生きてゆけるものです。にもかかわらず芸術が存在するというのは、「心に潤いを与えるため」だからだと思うんです。経済的に行き詰まってくると、企業や地方自治体は芸術にかける予算を真っ先に切りつめますが、このことで逆に働く者の心のゆとりを一層削ってしまっているような気がします。昨今、若い人たちの犯罪が多発している現象についても、以前と比べて芸術教科が軽く見られるようになったのが、その一因かもしれません。やはり「美しいもの」に囲まれて暮らすというのは、大切なことです。


私は本当に職場に恵まれていると、このごろつくづくと感じます。以前の職場には、和紙を使って立体的に描いた、美しい木の根の絵が飾られていました。今の職場に至っては、あちこちに花が飾られていますし、ベルナール・ビュッフェのリトグラフや浜田庄司の花瓶まで飾られています。この花瓶には季節の花が一輪、いつも活けられています。


柳宗悦が提唱した民芸運動は、しっかりとした作りの日用品を高額にしてしまったというマイナス面もありますが、日本の生活必需品がいかに美しいものであったかを認識させてくれたと言う点で意義深いものであったと、私は思います。現代の日本の生活必需品と比べてみれば、その美しさには雲泥の差があります。確かに日用品ですから、100円ショップの品で十分に事足ります。けれども、私はあくまで美しいものにこだわりたい。自分の目で選んだ美しいものに囲まれていたい。そう思っています。


アールヌーボーは「生活の中に芸術を」というコンセプトに基づいて展開されています。このコンセプトゆえに、私はアールヌーボーに惹かれているのかもしれません。そう考えると、現代の日本の状況が寂しくもありますが。



職場で使っているアールデコのシガレットセット