椅子

10年ほど前になるでしょうか。あるデザインコンテストのパンフレットを見ていて、「椅子はセクシーな存在である」という一文を見つけて、妙に納得させられたことがありました。言われてみれば、人間が体を直接預ける唯一の家具であり、人体構造を考える必要性が最も要求される家具でもあります。江戸川乱歩も『人間椅子』と言う作品を書いていますけれど、ああいったエロティシズムを想起させる何かが椅子にはあるわけです。


私自身は、「長時間座っていても疲れない」ということにかなりこだわって椅子を選んでいます。ですから、気になる椅子を見つけたら、最低1時間は頼んで座らせてもらう。どんなにデザインが気に入った椅子でも、20分そこそこで疲れるような椅子は買わない。買ったとしても、使わなくなるのは目に見えています。探し始めた頃にはエミール・ガレのダイニング・チェアやユジェーヌ・ヴァランのアームチェアにも出会いました。確かにデザインは美しい。ですが、やはりすぐに疲れてしまうんです。体を預ける以上、座っていて疲れるようでは困る。


で、最初にお眼鏡にかなったのが左の写真のダイニング・チェア2脚です。「アールヌーボーで、シルエットはシンプルで、しかも座っていて疲れない」という我儘の極致ともいうべき私の要望に見事に応えてくれた奇特な椅子です(笑)。見つけた時は鳥肌が立つほど感動しました。


しかし、感動もつかの間。本当に大変だったのはここからです。


椅子が届いたその日、嬉々として包みをあける・・・しばし呆然。この椅子の存在が強烈なんです。一見楚々とした佇まいでありながら、その存在感で他の家具を圧倒してしまう。それまではイギリスで作られたアールデコ期のワードローブとドローリーフテーブルを中心にインテリアを考えていたんですが、そのワードローブとドローリーフテーブルが貧相に見えてくる。だったら配置を変えてみようとあれこれ試してはみたものの、1LDKの我がマンションでは、どこにいてもこの椅子が目に入ってくる。思わず頭を抱えてしまいました。最初から部屋作りのやり直しです。


この日からおよそ10年。ほぼ満足できる、今の部屋ができあがりました。その間、家具を選ぶ基準となったのはこの椅子でした。アールヌーボーで、シルエットはシンプルで、しかもこの椅子に合うもの。そう簡単に見つかるはずもないので、長期戦は覚悟していました。10年で揃ったことが奇跡のように思えます。


下の写真の椅子たちも、その10年の間に見つけたものです。右側はルイ・マジョレルの椅子2脚。「ガレは芸術家、マジョレルは家具職人」とはよく言ったもので、座ってみると、まさにその言葉の通りだと実感できます。マジョレルの椅子はとにかく疲れない。長時間座っていても全く苦にならないんです。彫刻もここまで細かいのに、座ってみると背中には一切あたらない。ちなみにガレの椅子は20分で背中が痛くなりました。家具ではガレよりもマジョレルの方が高く評価されるのも当然だと、私は思っています。


左のアームチェアはインターネット・オークションで見つけたもの。我が家の椅子の中で唯一座らずに購入を決めた品です。マルケトリーの施されたアームチェアは見つけるのが至難の業。出会った時に購入しておかなければ次はないかもしれない。そう考えて、思い切って購入に踏み切ったんです。結果は大正解。本当に気持ちのいい椅子で、夏場の休日なぞは惰眠をむさぼるのに最適です(笑)。また、アームの位置や高さが私にはぴったりで、足を組んでアームに肘をかけて本を手にすると、ちょうど本が膝の上に乗るんですね。おかげで読書をしていても肩がこらない(笑)。凝り性の私にはこれがありがたい。


さて、部屋作りも一段落して数年、困ったことが一つ。好きなものに囲まれて暮らしているとですね、出かけたくなくなるんです(笑)。1日中家の中でぼーっとしていたくなる。ここ2、3年、めっきり外出しなくなりましたね、休日に。ゆっくり料理を作って、ゆっくりと食べて、その日の気分でポットやカップ、スプーンを選んでコーヒーを入れて、好きな音楽をかけたり好きな本を繙いたりしているうちに、あっという間に1日が過ぎていく。まあ、その間に洗濯や掃除といった生活感漂う作業をこなすわけではありますが(笑)。


ただ、これがアンティーク・ハンティングとなると何の躊躇もなく出かけられるからおかしい(笑)。低血圧で朝が苦手なはずなのに、早起きが全く苦にならない(笑)。普段はぎりぎりまで寝ていて、朝はいつも大慌てなんですけどね(笑)。そんな自分がおかしいやら恥ずかしいやら。まあ、でも、人間そんなもんなんでしょうね(笑)。