手巻き

1990年代に「電波時計」なるものが発売されましたよね。ケースやバンドに内蔵されたアンテナで電波を受信して、常に正しい時刻を示してくれるというやつです。そのニュースを聞いたときにですね、ついつい思ってしまったんです。かわいくない!ただでさえ時間に追われている毎日。多少時間が狂うあたりに人間味を感じていたのに。それが「常に正確無比」になってしまったら、ますます「時間に縛られる」感覚が強くなってしまうじゃないか!


だいたい、そこまで常に正確な時間を知る必要があるのかどうか。もちろん、分刻み、秒刻みで仕事をこなさなければならない方には必要なのかもしれませんが、やはり、寸分の狂いもないというのはどこか窮屈な感じがしてしまって、私はどうしても好きになれません。


基本的に、私は懐中時計が好きです。腕時計だとどうしても「縛られている」感覚に陥ってしまうからなんですね。懐中時計であれば「ポケットに時間を詰めて・・・」という感じがして、なんとなく気持ちが豊かになってくる。ただ、生来のおっちょこちょいである私としては、仕事場で懐中時計を使うのは恐ろしいことなので、やむを得ず腕時計を使っています。ただし、「縛られたい!」と思えるくらい見目麗しいものに限る(笑)。それと、絶対に手巻き。これだけは何があっても譲れません。多少狂ってもかまわないんです。1日にどれだけ狂うかを自分で把握していればいいことですから。


「手巻きだと毎日巻くのが面倒くさくならない?」と聞かれたことがあります。確かに、電池式の方がねじを巻かなくてすみますから楽かもしれません。でも、私にとって「時計のねじを巻く」というのは、毎朝欠かせない一つの行為なんです。ねじを巻く時間は決まっていて、いつも必ず家を出る直前。ねじを巻くことで「ご自宅モード」から「お仕事モード」に気持ちを切り替えているんですね。


四隅の写真は普段使っている腕時計です。1950年代から60年代にかけて作られたヴィンテージ。古いものですから多少の狂いは生じます。でも、狂いを承知の上で時計と相談しながら使っていれば、何の不都合もありません。あくまで「時計と相談しつつ時間を確認している」わけですから、少なくとも「時間に縛られている感覚」にとらわれなくてすみます。


腕時計を選ぶときには、厳しいようですが、日本製は論外です。なぜなら、修理したいときに部品がない場合が多いから。これに対して、それなりに名前を知られた海外のメーカーは、古い部品も大切にとっておいて、ちゃんと修理に応じてくれます。下の二つは風防が割れたり歯車がいかれたりして修理に出していますが(もちろん例の時計屋さんです)、ちゃんと部品の在庫があって、修理をしてもらうことができました。長く大切に使いたい私にとって、修理をしたいときにできないメーカーの品は、購入の対象外なんです。


さて、この四つの腕時計の中で仲間はずれが一つ。左上の紫の時計です。これ、実はレディースなんですね。でも、文字盤のあまりの美しさに、ショップのオーナーに頼んで腕にはめさせてもらったんです。すると、全然違和感がない。それもそのはずで、レディースとしてはかなり大きい。右上の角時計はメンズなんですが、これと大きさが変わらない。で、思い切って購入に踏み切ったわけです。


「せっかくだからバンドも似合うやつを見つけてくるわね」とおっしゃるオーナーのお言葉に甘えて、バンドもフランスで作って頂きました。そのときのオーナーと職人さんの会話。

「きれいな時計だな。どんなマダムが使うんだ?」
「マダムじゃないのよ。ムッシュ。」
「何? 嘘をつくな。」
「嘘じゃないのよ。ムッシュ。」
「・・・日本にもそんな面白いムッシュがいるのか?」

・・・あのぅ・・・「面白い」って、この場合どう解釈したらいいんでしょう?


LeCoultre

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