このところFoisil(フォワジル)の作品を頻繁に見かけます。3ヶ月の間に3点。アールヌーボー・ジュエリーの希少性を考えるとかなりの頻度と言えます。もしかしたら一人のコレクターから出たものかもしれません。


このFoisilというメダル作家は「メダルジュエリーに初めてメレ・ダイヤをはめ込んだ作家」として知られていますが、ファースト・ネームが判明していませんから、それほど人気があったわけではないと推測されます。例外は「やどり木に囲まれた女性」のデザインで(写真右から2番目)、これだけは人気があったらしく、オークションでも何度かみかけたことがあります。


この作家の描く女性も、すぐにそれと分かる特徴を備えています。「鼻」です。他の作家に比べて「ツン」と反っているんですね。鼻を見るだけでFoisilの作品であることがすぐに判別できます。

       

                       左端のブローチと右端のペンダントトップがこの3ヶ月の間に入手したもの

実は私、このFoisilという作家をかなり気に入っています。予算の折り合いがつく限り、見かけたときには入手するようにしているほどです。


Foisilの作品は「これぞアールヌーボー」と言いたくなるくらい、典型的なアールヌーボーのデザインです。うねるような曲線(女性の髪や植物の茎)、植物文様、効果的な余白、恍惚とした女性の表情。こういったアールヌーボーに見られる特徴をことごとく備えています。しかし、このことが却ってこの作家の評価を下げてしまっているのではないかと、私には思えてなりません。


この作家の素晴らしさは「生命力」にあると、私は考えています。描かれている女性達が皆、生を謳歌しているように見えるんです。


アールヌーボーは19世紀末に花開いた芸術運動です。時代が退廃的かつ享楽的な空気に包まれていましたから、この時代の作品には退廃美をたたえたものや「死」の影を感じさせるものが少なくありません。そういう時代背景にあって、生命力あふれるFoisilの作品は、他の作家とは一線を画す存在感を示しているように思います。


来るべき「死」を迎えるまで、精一杯「生」を生き抜くこと・・・ジョルジュ・バタイユの『エロティシズム』の主旨はそこにあると私は捉えていますが、Foisilの描く女性達には、見事にエロティシズムが具現化されています。そういう意味で言うと、非常に人間くさい。しかしながら、下世話になる一歩手前で踏みとどまっている。芸術的でありながら庶民的。美しくありながらもたくましい。そういうところにたまらなく魅力を感じるのです。デザインの美しさだけを問うならば、確かにFoisilよりも優れたメダル作家はいくらでも存在します。しかし、これほどまでに生命力を感じさせてくれる作家は他にないような気がするのです。


その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな


Foisilの作品を見ていると、与謝野晶子のこんな短歌を思い浮かべたりします。


Foisilという作家