深澤直人さんはプロダクト・デザイナーとして近年最も活躍している方ですが、先日、鷲田清一さんの本を読んでいるときに、深澤さん著作からこんな文章が紹介されているのをみつけました。


「『こんなものでいい』と思いながら作られたものは、それを手にする人の存在を否定する」


この言葉を目にしたとき、心地よいくらいすとーんと腑に落ちるものを感じました。
私がどうしても好きになれない品物が、100円ショップの食器と職場の事務机。いずれも「『こんなものでいい』と思いながら作られたもの」だったんだと思い当たったというわけです。特に職場の事務机に対しては「あてがわれている」という感覚を拭い去ることができずにいました。この不快感はどこから来るのだろうと長年不思議に思っていましたが、ようやく合点がいきました。


鷲田さんはさらに深澤さんの言葉を引用しています。


「『これは大事に使わなければならない』と思わせるもの、あるいは逆に、『手に取った瞬間にモノを通じて自分が大事にされていることが感じられる』もの、それが良いデザインである」


これらの引用を踏まえて、鷲田さんは、自分を大事にするところから自尊心が生まれ、自立心が育っていくと述べていらして、非常に興味深く思うと同時に、自分が好きなデザインはどんなものなのかを考えさせられました。


私の考える「良いデザイン」は、若干、鷲田さんの仰ることとズレがあります。


「『これは大事に使いたい』と思わせるものであり、同時に『手に取った瞬間にモノを通じて自分が大事にされていることを感じられるもの」、つまり、「自分がいとおしいと思うと同時に、モノからも自分に寄り添ってくれる」ものです。「『これは大事にしなければならない』と思わせるもの」ですと、「主」はものであり、自分はあくまで「従」ということになります。これは結局、デザイナーの思想に服従することに他ならず、その時の自分には「主体」というものが存在しません。人とものとが「相思相愛」であって、初めて「良いデザイン」であると言えるのではないでしょうか。


時折、「ものが自分を呼んでいる」という感覚を抱くことがありますが、これはまさに「モノから自分に寄り添ってくれる」ことだと、私は思います。こういう感覚で購入した品物に失敗はありません。最初に「ものが自分を呼んでいる」と感じて購入したのは冬物のコートですが、25年経った今も(!)現役です。


   

           「ものに呼ばれた」と感じた品物の一部 
           特に強烈だったのが左端のジュリアーノの指輪で ショーケースの前を素通りしようとしただけで首が動いた!(笑)


私が「ものが自分を呼んでいる」という感覚を抱いた品物は、例外なく作り手の「職人魂」を感じる品物です。人を呼ぶだけの品物は、それだけの熱意を込めて作られていると思いますし、そういう品物でなければ人を呼ぶだけのパワーを身にまとうことは決してできないとも思うのです。骨董品に惹かれ、現代の品物に魅力を感じないのはそのあたりに理由があるのかもしれません。


最近私がはまっているのが、自宅から徒歩30秒の所にある和菓子屋さんの「きんつば」です。この和菓子屋さん、店構えは「大丈夫か!?」と言いたくなるくらいの趣なのですが(笑)、きんつばの味は絶品!北海道の契約農家から小豆を取り寄せ、自宅で小豆を煮ているというこだわりよう。それでいて1個たったの100円。久々に「ものが自分を呼んでいる」と感じた、現代の品物です。


品物のパワーは値段ではありません。


呼びかける「もの」