私がコレクションしているジュエリーは、その殆どがメダル・ジュエリーです


宝石のついたものやエナメルがほどこされたものも決して嫌いではありません。ただ、私はジュエリーを「身につける」という前提で購入しています。自分が身につけた時のことを考えると、やはり宝石やエナメルは躊躇してしまうんですね。男性の私にはどうしても華やかすぎる。それゆえ、選ぶジュエリーは金、もしくは銀のみで作られたジュエリーに限られてきます。例外的にシードパールやメレダイヤをアクセントに用いたものを購入するときもありますが、これも目立たない程度のものに限ります。


素材が至ってシンプルですから、その分細工にはこだわります。思わずうならされてしまうような「職人技」ともいうべき細工には、心を揺さぶられます。デザインがシンプルであっても、そこに職人の心意気が感じられれば、迷うことなく購入します。


だとすれば、メダルジュエリーにこだわらず、花や鳥、霊獣をモチーフにしたジュエリーにもっと目を向けても良さそうなものなのですが、やはり目がいくのは人物像のメダルジュエリーばかり。


結局、私は「人」が好きなんだと思います。

                        

                           左がCariatの花占いをする女性、右がRasumnyのメデゥーサ
                                どちらも表情から物語が感じられるお気に入りの品

                        
素晴らしいジュエリーというのはひとつの「芸術」です。芸術である以上、そこには作り手の「自己表現」が存在します。人物像のメダルジュエリーの場合、そこには「作り手」だけではなく「描かれた人物」が存在します。作り手の自己表現と、描かれた人物の内面や物語。これが同時に感じられることこそが、メダルジュエリーに惹かれる理由なのだと、私は思っています。


もちろん、「描かれた人物」は作り手の自己表現の一端であると考えることもできます。しかし、「描かれた人物」にモデルがいるとすれば、「描かれた人物」には、作り手の目がとらえたモデルの人となりが投影されていると言えるはずです。具体的なモデルがいない場合でも、作り手が特定の個人を念頭に置いてデザインしたものであれば、当然、その人物の人となりが反映されます。


「人」にはそれぞれのドラマがあります。だからこそ、本気で人を好きにもなるし、憎みもします。そして、そのドラマは決して私が持ち得ないものです。たとえ私と似たような経験をしていたとしても、その人が思ったこと・感じたことはその人だけのものであり、私のものではありません。


メダルジュエリーが好きなこと。お芝居が好きなこと。そして、人と接する職業を選んだこと。これらは私の中で、一本の糸によって繋がっているような気がします。