文房具

ものを書くことが好きなせいか、アンティーク・フェアなどに足を運んだときも、なんとなく文房具には目がいきます。本来はシルバーのコレクターですし、ジュエリーにまで手が伸びていますから、よほどのことがなければ買うことはありません。それでも面白いものやデザインの優れたものを見かけるとついつい手が出てしまいます。


ものを書くことは好きですが、それを仕事にしたいかというと、それだけは嫌だと思っています。私は「一番好きなこと」を仕事にしたくないと言う気持ちを非常に強く持っています。もちろん嫌いなことを仕事に選ぶはずがありませんから、現在仕事にしていることは、ものを書くことの次に好きな「人間」が相手です。一番好きなことを仕事にして、もしそれに行き詰まってしまったら自分の逃げ場がどこにもなくなってしまいますし、何より「楽しい」と思える自己表現の手段を失ってしまうからです。


購入した文房具ですが、私はしっかり使っています。基本的に私は使うためにアンティークを購入していますから、これらの文房具達もすべて使うために購入したものです。今のところシールだけは使う機会がなくて眺めて楽しんでいるだけですが、そのうち金属のメダルで印を彫ってもらって、シールの底に貼り付けて印鑑として使おうと思ってはいます。底が四角いシールは蔵書印にふさわしいかもしれません。


使ってみて実感したのは、昔は時間がゆったりと流れていたんだなぁということです。ペンやインク壺は慌ただしく手紙を書くときにはふさわしくない。インクは飛び散るわすぐなくなるわで苛立たしいこと甚だしい。ゆったりと時間を取ってこそ使える品物だと思うのです。手紙の封を切るのも、ペーパーナイフを使うより鋏を使う方がずっと手軽で時間がかかりません。もっとも、私はそそっかしくて、手紙の封を鋏であけると中身ごと切ってしまうことが度々なので、ペーパーナイフを愛用しているのですが(笑)。

                    

アンティークの文房具を使うたびに「美しいなぁ」と思います。手紙の封を開けた後、すぐには手紙を読まずにペーパーナイフに見とれているといったことも珍しくありません。文房具という実用品でありながら、1つの芸術作品として鑑賞できるだけの美しさ。文房具には「芸術作品を手にとってじっくりと眺めることの喜び」が備わっています。


アールヌーボーは「生活の中に芸術を」というコンセプトを持った芸術運動だったわけですが、日本の江戸時代には「粋(いき)」だとか「いなせ」という言葉がありました。「見るからに」という装いは野暮の骨頂。さりげなく良い品物を身につける、あるいは、ぱっと見には気づかないような小物に凝るのを良しとしていました。小物類には、実際に日用品として使われていたものも数多く存在します。根付、帯留、煙管、煙草入れや懐紙入れの留具。芸術品と言っても過言ではない品物も少なくありません。もちろん、矢立や水滴と言った文房具も、この中に含まれています。


私はアールヌーボーのコンセプトと江戸の粋とに、なんとなく共通したものを感じています。ただ、広まり方は全く違う。アールヌーボーがあくまで作家の側からの発信だったのに対し、江戸の粋は庶民の側からの発生でした。このことを考えてみると、元禄時代から明治初期の日本の工芸品が、当時、世界のトップレベルにあったのも当然のことのように思います。


私が個人的に携わっている演劇も芸術の一つです。演劇では「観客を育てる」ということがしばしば言われますが、これはどの芸術にも言えることです。その一方で「観客が芸術家を育てる」ということも、また真実です。江戸時代は「庶民が職人を育てた」時代です。職人にとってはひどく大変だったでしょうが、その一方で実に幸せな時代であったとも思います。




写真上(右から)
 :ペーパーナイフ(Bouval作)
  ブックマーク(Vernon作)
  ペーパーナイフ(Gaillard作)
  ペン
  インク壺(Meisel作)
写真中
 :お気に入りのシール
  中央のものだけ作者不明
  他は、右からBecker、Caron
  Tereszczuk、Barriasの作