ラリックのメダル

先日、仲の良い業者さんのお店に伺ったとき、ちょっと珍しいLaliqueのメダルを見せて頂きました。横長の十字の中に「頭に包帯を巻いた上半身の兵士を、介抱する女性」の姿が刻まれたものでした。おそらく赤十字のためにデザインされたものでしょう。


ラリックはジュエリーやガラスの他に、メダルもかなりの数を製作しています。ただ、ジュエリーやガラスほど数が多くないらしく、メダルだけのカタログ・レゾネはまだ作られていないそうです。


その中で最も市場に出回っているのが、第1次世界大戦(1914-1918)の期間に製作されたものです。


1908年、François Cotyに香水瓶『L'Effleurt』のラベル製作を依頼されたのをきっかけに、Laliqueはガラス製品の製作を始めます。1908年にはCombs-la-Villeという土地にガラス工場を借り、その後特許を取得。ガラス製品の大量生産を可能にします。ところが、第1次世界大戦が始まるとガラス工場を閉鎖されることを余儀なくされ、ガラス製品の製作は中断します。Combs-la-Villeの工場に見切りをつけたLaliqueはアルザス地方のWingen-sur-Moderに新しい工場を設計、建設に着手。1921年に新工場が完成した後は数多くのガラス製品を生み出していきます。

Cotyの香水
『L'Effleurt』のために
デザインされたメダル
このメダルが使われたのは
初期の頃のみで
後に直接ガラスに
プレスされるようになった

これはある業者さんから聞いたお話ですが、ガラス工場の閉鎖とメダルの精力的な製作は無関係ではないだろうと言うことでした。確かに、大戦中のメダル製作数の多さを考えるとうなずけるところです。


これらのメダルは様々なチャリティのために製作されています。チャリティ用と言っても、Laliqueですから、その仕事ぶりに手抜きはありません。また、同じ図柄のメダルであっても、大きさやメダルの形を変えたり、寄付金の額によってメダルの素材を「真鍮(もしくは銅)」「銀」「18金」と変えたりと、バリエーションも豊富です。



ところで、数あるLaliqueのメダルの中で、一つだけ謎を秘めたメダルが存在します。結核患者救済のために製作された『Pour Les Blesses De La Tuberculos』というメダルです。下の写真がそれです。

右向きの男性と正面向きの男性。二人とも帽子をかぶっている 背を向けた男性と左向きの男性。二人とも帽子をかぶっていない

同じデザインに見えますが、実は右下の二人の男性が違っています。Laliqueのメダルは確かにバリエーションが多いんですが、それでも、「メダルの形や大きさ」「メダルの素材」「文字の位置」が違っているくらいで、図柄の一部が異なっているのはおそらくこのメダルだけでしょう。一般的に出回っているのは左側のデザイン(右向きの男性と正面向きの男性)の方で、右側のデザインは非常にレアです。私自身、話には聞いていましたが、実際に目にしたのはこのメダルが初めてです。ということは、製作された数にかなりの違いがあるということになります。


では、なぜ同じメダルに二つのデザインが存在するのか。それにはいくつかの理由が考えられます。
 1)最初から2パターンの型を作っていた。
 2)最初は左側のメダルのみの製作であったが、型が摩耗してきて作り直す際にデザインを変更した。
 3)最初は右側のメダルのみの製作であったが、初期の段階で何らかの理由でデザインが変更された。


製作数にかなりの差があることを考えると、2)か3)である可能性が高いかもしれませんが、詳細が判明していない以上推測でしかありません。ただ、私としては1)の可能性もありなのかなぁと思っています。


例えば、日本の漆器の場合、10組、20組と同じ図柄のものを作ったときに、1つだけ図柄を微妙に変えて遊ぶことがあります。もしかしたらLaliqueもこのメダルでそういう「遊び」を試みたのかもしれません。自由な発想でジュエリーやガラスの既成概念を変えたLaliqueのことですから、そういった「遊び」もありそうです。とは言っても、これはあくまで私の勝手な想像なんですけれど。言い換えれば、そういう勝手な想像を許してくれるだけの懐の深さが、Laliqueという作家にはあると言うことです。