陽刻

私は陰刻(engrave)よりも陽刻(emboss)の方が好きです。ですから、コレクションの銀器やメダルジュエリーも、その殆どが陽刻の品です。


銀器やメダルジュエリーは「型」で抜いて作られるものですが、陽刻(エンボス)タイプの模様は、予め「型」自体に模様が施されています。まず、この「型」を作るのに大変な技術がいります。さらに、型に金属を流し込み、冷えた後に型から抜く・・・この作業も高度な技術を要求します。「型を作る職人」と「型から抜く職人」。このどちらか一方の腕が劣れば美しい陽刻は成り立ちません。そこに職人同士のプライドのぶつかり合いみたいなものを感じるわけです。


ところで、時々「いい図柄なんだけれど、なんとなく図柄がぼやっとしている」という品を見かけます。これにはいくつかの原因が考えられますが、主な原因は以下の5つです。


①オリジナルから型をとって複製した場合
②使用、手入れによって摩耗した場合
③重量や強い力がかかって模様がつぶれた場合
④型から抜くときに若干失敗した場合
⑤型自体が摩耗してしまった場合
  (③は「あたりがある」、④⑤は「抜きが甘い」という表現で、それぞれ言い表します)


①の場合は「レプリカ」になります。実は、アールヌーボーのジュエリーの場合、このタイプのレプリカが数多く出回っています。特にシルバージュエリーは要注意です。イギリス製のレプリカに至ってはご丁寧にホールマークまで複製されています。このタイプのレプリカは、オリジナルとは比べものにならないほど大味なので、きちんとしたオリジナルのジュエリーを見ていればすぐに見分けがつくようになります。たとえよくできたものであっても、オリジナルに備わった優雅さまでは再現できていません。中には美術館公認のレプリカも存在しており、これは本当に良くできていますが、きちんと美術館の刻印が入っています。万が一、美術館の刻印が入っていなかったとしても、フレンチジュエリーの場合にはホールマークで本物か否か判断できます。


②から⑤までは「オリジナル」と言っていいものです。②はシルバー製品、特に使用頻度の高いカトラリーによく見られます。銀器を磨くということは、磨いた分だけ銀を削り取るということですから、年月を経れば当然摩耗するわけです。図柄も全体的にぼやっとしてきます。③と④の場合、全体としては抜きがいいんですが、力がかかった部分がつぶれていたり、抜きを失敗した部分がつぶれていたりします。特にソルトスプーンや指輪のような小さい品物ですと、③が原因で模様がつぶれていることがよくあります。


⑤の場合は、特に模様の細かい部分がぼやけています。具体的に例を示してみましょう。

                        

全く同じデザイン、同じ大きさのクラバット・ピン(左)とピアス(右)の写真です。特に髪の毛の様子を比較してみてください。明らかに左側の方が細かい部分まではっきりとしています。右側のピアスは、全体としてはそれほど悪いできではありませんが、髪の毛のラインがぼやけてしまっています。


長い間「型」を使っていますと、「型」自体が摩耗していきます。「型」を使い始めた当初は、模様の微妙なところまで細かく表現されていますが、「型」を使い続けていくうちに模様がだんだんとぼやけてゆく、すなわち「抜きが甘くなっていく」という現象が起こってきます。特にレリーフの薄い部分や細かいラインの部分は摩耗の影響をてきめんに受けるというわけです。


アンティークの場合、出会ったときに買わないと二度と巡り会えないということがよくあります。全く難のない品ならすぐにでも購入しようと決断できますが、最近はいい品物が減る一方で、「抜きの甘さ」「摩耗」「あたり」にどこまで妥協できるか、日頃から頭を悩ませております。