お茶の時間

大学時代、フランス語は得意でしたが、英語はイマイチでした。何せ「指定校推薦入試」という便利極まりないものを使って大学に入ったものですから、10月半ばに合格が決まった後、大好きな古文以外は普通に勉強するくらい。受験勉強をして合格した同級生たちのボキャブラリーにかなうはずがありません。どんなにがんばっても成績は「良」どまりでした。


だからといって、英語の授業が嫌いだったわけではありません。特に、1年の時に受けていた授業は面白くて、毎回楽しみにしていました。前期がエドワード・リアの『ナンセンスの絵本』、後期がアントニイ・バージェスの『どこまで行けばお茶の時間』。1年間、英国式ナンセンスにどっぷりとつかっていました。小学生の頃から『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』『マザーグース』に親しんできた私にとって、こんな嬉しい授業はありません。毎時間毎時間、笑いのツボをくすぐられっぱなし(笑)。ただし、今は笑えるかどうかはわかりません。確実に学力は落ちています(泣)。教科書は大事にとってあるので、時々引っ張り出してきて頭を鍛え直す必要がありそうです。


同じ頃、仲良くしていた同級生の中に「紅茶命!」という強者がいました。その入れ込みようが半端ではない。茶器はロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッド・フルレースで、銀器はマッピン&ウェッブでと、徹底して自分の好みに合った逸品でそろえていました。学生には分不相応ではないかと思うほどの徹底ぶりで、そのために一時期は仕送りが足りなくなって食事を抜いていたほどです。食事は抜くくせに紅茶だけは飲む。当然、胃は痛いわ貧血は起こすわという事態を引き起こします。見るに見かねた私は自分の下宿に彼を呼びよせ、次の仕送りまでの4日間ほど食事の世話をしました。そのとき、彼はご自慢のティーセット持参で我が下宿に乗り込んできました。「割れたらどうする気?」と心配する私に「割るわけないじゃん」と自信たっぷりに言い切った彼の顔を、未だにはっきりと覚えています。


そこまで徹底した輩ですから、彼の淹れてくれた紅茶は本当においしかった。ダージリン、アールグレイ、アッサム、ニルギリ・・・4日間ということで、4種類の茶葉を用意してきてくれていました。律儀なやつです(笑)。かつて母が淹れた紅茶のまずさに閉口して以来全くと言っていいほど紅茶を飲まなかった私ですから、紅茶の味に関しては全く期待していなかったんですが、一口飲んでみてあまりのおいしさにびっくり。淹れ方一つでこんなにも味が違うのかと、ただただ驚くばかりでした。それまでコーヒー一辺倒だった私に紅茶のおいしさを教えてくれたのは彼です。


今では私も紅茶が大好きで、時間がゆっくり取れる日には紅茶を楽しむようになりました。忙しい日に紅茶は向きません。おいしい紅茶を淹れるためには「熱いお湯」はもちろん、「待つ時間」も必要です。「何もしなくていい時間」が取れる日にこそ、紅茶はふさわしい。薬缶にお湯をかけたら、茶葉を選ぶところから楽しみます。お気に入りはアールグレイとラプサンスーチョン。ラプサンスーチョンは松をいぶして香り付けした最も古いフレーバーティーと言われています。甘露なことこの上ないお茶です。香りは「正露丸」そっくりですが(笑)。以前は新宿伊勢丹にあったバビントン・ティールームのものがお気に入りで、東京に出かけるたびに買いだめしてしてきたものです。そのバビントン・ティールームも今はありません。
                        

茶葉を選んだ後は、茶器を選びます。ここであれこれ迷うんですが、それもまた楽しい。その後、ちょっとしたお茶菓子を用意します。定番はトーストにジャムを添えたもの。ジャムはあくまで自家製です。ジャム作りは私の「趣味」の一つですから、1年中何かしらのジャムが冷蔵庫でスタンバイしています(笑)。


紅茶を入れるときだけはアンティークの琺瑯の薬缶を使います。写真の薬缶がそれです。フランスで作られたもので、シクラメンの図柄がアールヌーボー。琺瑯は強火にすると割れてしまう可能性がありますから、当然中火になります。また、ステンレスよりも熱伝導が悪いので、その分お湯が沸くまでに時間がかかります。この時間のかかり具合がちょうどいいんですね。おかげで準備の段階から、あれこれ迷って楽しむことができる。容量もかなりありますから、茶器を温めるお湯も十分まかなえます。


紅茶を飲むときは、1杯目はプレーンで、2杯目以降はミルクティーにしてというのがいつものパターンです。ミルクはミルクピッチャーに入れた後、ピッチャーごとお湯で温めておきます。こうするとほのほのと温かいくらいになるので、ミルク独特の匂いも立たず、紅茶の香りを殺さずにすみます。


不思議なことですが、紅茶を飲んでいると「カップから伝わってくる温かさ」というものをいつも実感します。コーヒーを飲んでいるときにも感じることはありますが、紅茶のように「いつも」というわけではありません。おそらく、紅茶を飲んでいるときに流れている「ゆったりとした時間」が生み出す感覚なのでしょう。


大学時代のあの4日間、毎日二人で紅茶を味わいながら、とりとめのない話を延々と続けていました。それだけの時間が、あのころの自分には許されていたということです。年齢を重ねるごとに「ゆったりとした時間」は少なくなってゆく。仕事を始めて20年が過ぎ、忙しさに目が回りそうな毎日を過ごしていると、あの頃のことが妙に懐かしく思い出されます。




バビントン・ティールームで使われていた灰皿
店員さんに頼み込んで譲ってもらったもの
その後販売もされていたが
販売品とは猫の絵が異なっている
このお店を教えてくれたのも例の「彼」