あまりにも身近すぎてすっかりご紹介するのを忘れていましたが、私が普段使っている眼鏡も、実は80年ほど前にアメリカで作られたアンティークです。小さい頃、押入の中で本を読むのが好きだという変わった子供でしたので、あっという間に視力が落ちてゆき、小学校5年生の時から眼鏡のお世話になっているわけですが、今まで使ってきたどの眼鏡よりも気に入っています。
                         
実はこれ、老眼鏡として作られたものなんですね。ですから、本来は鼻当ての部分がもう少し上を向いていて、目一つ分下に来るようにできていたんです。それをバーナーであぶりながら少しずつ調節して、近視用として使えるように細工しました。好きなことには徹底してマメな私です。嫌なことはお尻に火がつくまで取りかからないんですけれど(笑)。


元々が老眼鏡ですから、手元がしっかり見えるよう、かなり小さめに作られているんですね。で、人より顔の大きい私がかけると本当に小さい(笑)。「そんな小さい眼鏡で見える範囲が狭くならないか」とよく聞かれますが、「よそ見の帝王」を自認する私としてはこれくらいでちょうどいい。何せ高校時代、目の端に面白そうなものが飛び込んでくるとそっちに気をとられて、溝や田圃に落ちたり電柱に追突していたりした人です。視野が狭い方が危険が少ない(笑)。おかげで目の前の仕事に集中できるようになりました・・・嘘はいけませんね(笑)。


この眼鏡に替えてからいいことはたくさんあります。鼻に乗せて使うタイプなので鼻当ての跡がつかない。つるの弾力性でずり落ちるのを防ぐので耳に眼鏡ダコができない。14金製なので汗やホコリによる腐食に強い。普通の眼鏡は鼻当てのところに汚れがつきやすく、そこから腐食していきますが、この眼鏡だとそういう心配もありません。


ただ、もともとが欧米人用に作られているので日本人の鼻には合わず、普通の人がかけるとずり落ちてしまうかレンズが目に当たるかしてしまうんです。私の場合、鼻の付け根部分の骨がぼこっと出ているので使うことができたというわけです。


この特徴的な私の鼻は、母方の祖父から譲り受けたものです。


この祖父には会ったことがありません。というよりも、会えなかったといった方が正しい。私の母がまだ10歳の頃に他界しているからです。祖父の姿は写真でしか見たことがありません。それも、たった1枚。祖父が他界した後、土砂崩れで家が流されてしまったため、祖母は仏壇に飾ってあった写真を持って逃げるのが精一杯だったそうです。ですから位牌もありません。


罰当たりかもしれませんが、位牌ではなく写真を持って逃げた祖母を、私は素敵だと思っています。祖父と祖母は10歳年が離れていたそうですが、いい夫婦だったんだろうなぁと思います。共働きだった両親に代わって私の面倒を見てくれていた祖母から祖父の話を聞くのが、私は大好きでした。その祖母も今は亡く、実家の仏壇に祖父の写真と祖母の位牌が仲良く並んでいます。


私は自分の容姿に自信がある方ではありませんが、それでも、自分の鼻だけは迷わず「好きだ」ということができます。この眼鏡が気に入っている一番の理由は、祖父譲りの鼻だからこそかけられるという点にある。祖父と私との繋がりを、いつも感じていることができるからです。形見の品こそないですけれど、祖父の思いは「鼻」を通して、しっかり私に受け継がれているような気がしています。